

FEATURE 08
WTAPS® From TOKYO,
We still stand in this decadence.
ファウンダーでありディレクターの西山徹が前身となるFORTY PERCENT AGAINST RIGHTS®を立ち上げ、それから4年目となる1996年にWTAPS®はスタートしました。
当時は今でいうストリートファッションという言葉の馴染みもなく、モードとカジュアルで二極化されていた、ファッションというジャンルの中で互いが分断されていた時代。
そんな時代、多くの人が『原宿』と呼ぶ場所の反対側で始まったインディペンデントな集合体が『裏原宿』と名付けられたカウンターカルチャーでした。
アーティスト、ミュージシャン、俳優、モデルといった様々な背景を持った人が集い、数多くのインディペンデントなブランドが生まれ、地域が社会現象にもなった時代。その一端としてWTAPS®は誕生しました。
その頃のメジャーとは対極にあった『裏原宿』で、自分たちのやり方で、着たいもの、欲しいものを作るといったストリートブランド所以の初期衝動のほかに『BEHIND THE BALACLAVA』(覆面の裏側)』というスローガンを掲げ、素顔や素性を公表せず、メインストリームの裏側で活動を行うといったコンセプトを基にブランドは始まりました。
その自分たちの居場所となった『裏原宿』で、時を同じくして活動していた多くの仲間たちと共に切磋琢磨し、コミュニティを築き、支え合い、表現してきたことは今日の私たちの基盤です。
2020年を迎えた今、あの頃の仲間たちも、そこに集まって来ていた人たちの姿も、あのときと同じ場所で見ることはもうありません。世代は変わり、東京は国内外問わず多くの観光客が集まるようになりました。
マイナーだった『裏原宿』はメジャーとなり、あの頃の『裏原宿』は面影もありません。
しかしそれはいつの時代にもあるように、東京というあらゆる人が集まり、文化発信をし続ける震源地ならではのことだとも言えます。
移り変わる時代と共に、現在、コレクションは40回目のシーズンを迎えました。
誕生から24年の歳月が経った今に至るまでWTAPS®は、東京発信のブランドとして活動を続けています。
当時は今でいうストリートファッションという言葉の馴染みもなく、モードとカジュアルで二極化されていた、ファッションというジャンルの中で互いが分断されていた時代。
そんな時代、多くの人が『原宿』と呼ぶ場所の反対側で始まったインディペンデントな集合体が『裏原宿』と名付けられたカウンターカルチャーでした。
アーティスト、ミュージシャン、俳優、モデルといった様々な背景を持った人が集い、数多くのインディペンデントなブランドが生まれ、地域が社会現象にもなった時代。その一端としてWTAPS®は誕生しました。
その頃のメジャーとは対極にあった『裏原宿』で、自分たちのやり方で、着たいもの、欲しいものを作るといったストリートブランド所以の初期衝動のほかに『BEHIND THE BALACLAVA』(覆面の裏側)』というスローガンを掲げ、素顔や素性を公表せず、メインストリームの裏側で活動を行うといったコンセプトを基にブランドは始まりました。
その自分たちの居場所となった『裏原宿』で、時を同じくして活動していた多くの仲間たちと共に切磋琢磨し、コミュニティを築き、支え合い、表現してきたことは今日の私たちの基盤です。
2020年を迎えた今、あの頃の仲間たちも、そこに集まって来ていた人たちの姿も、あのときと同じ場所で見ることはもうありません。世代は変わり、東京は国内外問わず多くの観光客が集まるようになりました。
マイナーだった『裏原宿』はメジャーとなり、あの頃の『裏原宿』は面影もありません。
しかしそれはいつの時代にもあるように、東京というあらゆる人が集まり、文化発信をし続ける震源地ならではのことだとも言えます。
移り変わる時代と共に、現在、コレクションは40回目のシーズンを迎えました。
誕生から24年の歳月が経った今に至るまでWTAPS®は、東京発信のブランドとして活動を続けています。

