
FEATURE 39 窪塚洋介と西山徹のBack in the Day
90年代、ストリートカルチャーがうねりを見せ始めた原宿で出合った、俳優の窪塚洋介と〈WTAPS®〉ディレクターの西山徹。同じ時間を過ごしてきた二人が今考える、あの頃の原宿と、2023年の現在地について。
原宿での出会い
西山(以下N)「〈WTAPS®〉を始めたのは1996年なんだけど、あの頃の初期衝動は形が変わっても生き続けていると思っていて。なんていうか、ジップロックに入れて置きっぱなしになってる感じ」
窪塚(以下K)「聖域に置いてきた、みたいな」
N「そう。開けることはないんだけどね。でも、あの90年代の原宿の人間関係がなかったら今はないなと思うんだよ。そういう話が聞けたら面白いなと思って」
K「90年代っていうと、俺が横須賀から出てきたのが1998年とかなんですよ」
N「地元、横須賀なの?」
K「はい。16歳から役者の仕事をしていて、『東京で頑張ろう』みたいな感じで18歳、19歳くらいで出てきて。横須賀なんで東京には近いんですけどね」
N「じゃあ知り合った時は、東京に出てきたばっかりだったんだ」
K「そうですそうです。マガチン(真柄尚武さん)とも、雑誌で見てたあの〈HECTIC〉の社長さん!? っていう感じで知り合って。『よかったら明日店に来てください』『いいんすか?』が全ての始まりでした」
N「当時の原宿ってわりとアンダーグラウンドじゃない。メインのカルチャーからは横に逸れたものだったと思うけど、10代の洋介にはどんなふうに見えてたの?」
K「俺は横須賀から出てきたばかりで、ここに〈NOWHERE〉があって、ここに〈BOUNTY HUNTER〉があって……って、雑誌の『裏原宿の歩き方マップ』みたいなのを見て歩いてた時期だったんで。そのタイミングでマガチンに会えたから、わりと革命的っていうか。その流れで徹くんやタキシンくん(滝沢伸介さん)とも繋がって、輪が広がって。そこから2~3年は実家に帰らなかったです(笑)。寝る暇もないくらい面白過ぎて、いてもたってもいられない状態。もう大好き、捧げてる、俺の居場所はここだ! ってずっとワクワクしてた」
N「毎日が週末みたいな感じだったね。音楽ともそこで出合うわけでしょ」

K「そうですね。それまでは歌謡曲も好きだったし、ブルーハーツとかミッシェル・ガン・エレファントとか、メロコアとかを聴いて。裏原と出会ってHIP HOPを好きになりました」
N「具体的にどんな曲を聴いてたの?」
K「洋楽は当時そこまでわかんなかったのもあって、日本語ラップとかレゲエが多かったですね。KダブシャインとかRYO the SKYWALKERとかRHYMESTERとか。あと大阪のTERRY THE AKI-06はHIP HOPとレゲエを跨いでるような人で、すごく表現が自由だったんです。色々聴き漁ってました」
N「自分の場合はちょっと偏っていて、日本のHIP HOPといえばいちばん最初の高木完さんたちのユニットまでで、あとは洋楽のHIP HOPばっかり。きっと洋介の世代から日本のHIP HOPのゴールデンエイジが始まるんだよね。そのときはもう自分は年齢が上にいってたから」
K「あれ、今いくつですか?」
N「49歳」
K「俺は44歳の年です。5つ違うんだ」
N「そう。洋介とは微妙に年齢差があるから、吸収してるものが微妙に違っていて。でも同じ時代を生きてるから、すごくわかる」
K「原宿に行くようになって、渋谷のハーレム(『CLUB HARLEM』)に行き始めるんですよ。火曜のハセベくん(DJ HASEBE)とか土曜のマスターキー(DJ MASTERKEY)を毎週楽しみにしてました」
N「あったね。一旦帰って、また行ったりして(笑)」
K「だってハーレムから撮影現場に直行して、仕事が終わったらまたハーレムに帰ってましたもん(笑)。クラブが楽しいのもあるけど、すごく気楽だったんですよね。いちばん年下だったんで、俺にとってはみんなお兄ちゃんで、話し方も話題の選び方も海外に対する物の見方も、あらゆることが新鮮だった。そこらじゅうに宝物があって、どれも自分の栄養になるものばっかりで」
N「自分の場合は遊ぶ場所も仕事をする場所も同じだったけど、洋介には別のコミュニティがあったわけだよね。原宿のカルチャーを体験しつつ、映画やドラマを撮る環境にも身を置くって、すごく特殊な存在だったんじゃない?」

K「特殊でしたね。そのせいで、自分のいる業界を好きになれない矛盾にも陥るんだけど。特に当時のHIP HOPはフェイクに対して厳しかったから、勝手に「俺はフェイクじゃねえ」って肩肘張って、自分に刃を向けてました。強がってたんだと思います」
N「そういうプロセスってあるよね、若いときは特に」
K「それでも周りのみんなは家族みたいに付き合ってくれたんです。夜中だろうが朝だろうが家にあげてくれて。今でもああなりたい気持ちはあるし、俺がここまで来れた原動力のひとつでもある。徹くんの言う“ジップロックに入れて置いてある”みたいな、まさにそういう感じ」
原宿の面々が見せた、自由と一貫性
N「ああやって過ごした日々が、自分のクリエイティブに繋がってると思う?」
K「もちろん。土台も土台みたいなところに染み込んだエネルギーだから、アティチュードの全てに現れてると思います。メシを食ってようが、陶芸をやってようが、必ず潜んでる。だからあの90年代のタイミングで、あの年齢で、あのカルチャーに出合えたことは、ほんとに幸運だったなと。大変なこともあったけど、あの頃の全てが今の俺のエネルギーになってるって思えるくらい」
N「何が大きかったんだろうね」
K「自由でありながら、ブレない芯があったんですよね。徹くんとか特にそうですけど、当時の〈WTAPS®〉のウエストポーチって今のアイテムとも合うんです。それってすごいことだと思っていて。俺は仕事柄「次の役はこういう役なんで、こう変わります」っていうのを生業にしてるので、変わっていくのが自然なことなんですよ。もちろん根本は変わらないですけど、クリエイションするものはその時々で変わってきますし、正直なところ一貫性はないと思っていて」
N「うんうん」
K「ないものねだりなところもあるんですけど、自分にないからこそ憧れるというか。徹くんしかりタキシンくんしかり、いちばん最初に巻いたネジの強さを感じるんです。これ死ぬまで巻いたんだろうなってくらいめいっぱい巻いて歩き出したんだろうなって」
N「でも、自分からすると、洋介は変化しつつも一貫しているように見えるけどね」
K「もちろん生き方は変わらないし、変われないと思います。“自分らしく生きる”みたいな心構えをみんなに見せてもらってきたし、今も見せてもらってる。その背中が自分を導く道標というか、灯台のような存在だから」
N「洋介らしくやってるなと思うよ。遠目に見て、たまに連絡とったりするくらいで、いつも近くにいるわけじゃないけど」
K「その距離感すら一貫してんなって感じがするんすよね」
N「ああ、なるほどね(笑)」
K「当時もそんな感じだったし、ブレないなあって。だからたまにこうして呼んでもらうとめっちゃ嬉しいです。バゲットハット被って撮影した頃のまんまっていうか」
N「懐かしい。『ASAYAN』だね」
K「そう、『ASAYAN』!」
N「でも、90年代にリアルにアンダーグラウンドとかカウンターカルチャーを体現してた人間が、俳優としていろんな役を演じてるって面白いよね。というかあんまり見ない。特殊な背景を持った役者だなと思うよ」
K「そうですねえ。たまに海外で「ストリートのアイコン」みたいに言ってもらうことがままあるんですよ。でも俺、実際ストリートで生きてきたわけでもないし、たまたまクラブでマガチンと出会ってこの未来にやって来ただけじゃないですか。でもそこで「いやいや自分なんて全然!」って言いたくなくて。実際色々体験してきたし、みんなのプライドとかライフスタイルもわかってるから、「いやいや」って言うことは全てを否定することになるなって」


N「『アイコン』と呼ばれて謙遜できないのは、やっぱり見てきたからだよね。カルチャーを作った側にいた人だから。すごく特殊だと思う。それに、役者だから表現のバリエーションにも生きてくるわけじゃない」
K「そういう役がきたときのリアリティはあると思いますね」
N「しかもすごく狭いでしょ、あのカルチャーって。雰囲気を出そうとしても無理だと思う。空気感がわかってないと」
K「そうっすね。火で例えると、いちばん燃えてる火種の芯の部分は徹くんでありマガチンであり、原宿カルチャーであり。そのまわりをアパレルとかストリートっていう火がふわっと覆っていて、俺はその火を間近で眺めてた感覚なんです。だから遠くから見たらひとつの炎に見えるけど、芯と、周りと、さらに周辺で実は違っていて。俺はその距離感で熱を感じるうちに、みんなが持ってたスタイルだったりプライドとか強さ、優しさを知らぬ間に授かっていたっていうか」
N「90年代のカルチャーって、いわゆる反体制的なカウンターカルチャーのひとつのあり方だったなと思っていて。メインではないサブカルチャーとして、自分の周辺にしっかり存在していた。今周りを見渡すとなくなってるけど、きっと違う人たちが立ち上げてるんだと思う。サイクルで回ってるんだろうなって」
K「時代は巡るんだなあって思いますね。だって今90年代リバイバルになってきてるらしいじゃないですか」
N「それは感じる?」
K「ありますね。『池袋ウエストゲートパーク』(以下『IWGP』)は1999年に撮影をして2000年に放送されたドラマなんですけど、今年の正月にNetflixで配信されて、Z世代とかさらに若い子が見てくれるようになったんです。そのタイミングで7~8万人くらいインスタのフォロワーが増えて」
N「引き波みたいだね。『IWGP』をやってたのって、もう原宿にいた頃だよね。だからリアリティがある。そこが面白いんだよ」
K「自分が90年代の終わりに『IWGP』に注いだエネルギーが、20年経って巡り巡ってきた感覚があるんですよ。すごく面白いなあと思います」

カウンターカルチャーを体験したからこそ
N「最近、年取ったなと思う?」
K「思いますね。40歳を越えて、段々誤魔化しが効かなくなったなって。白髪が増えてきたのもあるし」
N「フィジカル的なところだ。メンタル的には?」
K「うーん、メンタルは当時よりは強くなったかもしれないですね。昔のほうがナイーブだったし、2ちゃんねるが登場して、わりとぼろっかす言われてたタイプだから。それも今となってはあのときボッコボコにされたから今なんともねえやって思えるし。何かやらかしても、徹くんが言う「特殊だよね」じゃないけど、なんとなく世の中からもそんな感じで認知されてる気がして。お前は許されるからいいよな、免罪符持ってるもんな、みたいな枠だと思ってもらえてるのは、みんなとの縁っていうのが絶対的に大きいと思います」
N「成長してるし、環境も時代も変わってるから、何かに近づいていくときのモチベーションがあの頃とは違うじゃない。どういうところで新しいことを始められるかっていうね。例えば、ふらっと原宿に出て、誰かに会って、っていうこともできないじゃない。そういう人ももういないし。じゃあどういうところで今後やっていくのかなって」
K「ああ、そうか。だからさっき徹くん、『ゴルフいいね。ハマるものが出来たんだね』って言ってくれたんですね」
N「それもある。あちこち当たって石みたいに丸くなって、今の自分たちって新しいメンタルになってるじゃん。だからゴルフも始められるしね。そういうメンタルゆえに、角があることに懐かしさを覚えるというかね」
K「もうカウンターとかを意識してないっていうか」
N「そう。でも同時に若い人が何か始めると素直に「ああいいね」って思えるのは、あの強さが自分たちにもあるからだと思うんだ。そこで次は何をしようかって。自分は何か残せることはないかなって考えたりしてるんだけど、洋介はそういうのあるかな」
K「こういう生き方でここまで来れたから、表現することやアウトプットすること全てに自分のエッセンスやバイブスが入ってると信じて楽しんでいく感じですかね。行き当たりばったりといえばそうなんですけど、やれることの幅が広がってきたなかに陶芸みたいなものもあるのかなと思います」

N「自分はやろうとすることに意味をつけたがる癖があるんだよね。その癖は最終的には自分の糧になるってわかってるから、つい意味を付けてしまう。いい癖なのか悪い癖なのかわからないんだけど、ただそれが仕事に繋がっているという事実もあるから、悩ましいところで」
K「そのバランスがすごくいいんだろうな。もしかしたら意味を付けようとして破綻しちゃう人もいるかもしれないけど、徹くんの場合、それがアウトプットされて洋服になって、循環されるようにバランスがとれてる。だから“LONG LIVE WTAPS®”っていうキーワードが生き続けてるっていうか」
N「確かに。そうかもしれないね」
K「俺の場合、昔のほうが考えてたと思います。理由を探して、それありきでやる、やらない、っていう感じだったけど、仕事をしていくなかで徐々に直感的になっていったなって。徹くんは、意味付けを考えながら、どのタイミングでデザインが生まれるんですか?」
N「なんだろう、こうやって話すことで相手から受ける影響ってあるじゃない。その影響を自分のなかに持っておいて、考えるときに形になることもあるよね。やっぱり自分だけで山に籠もって作るわけにはいかないから。子供と一緒に遊ぶことだってインスピレーションになるしね。ああ、そういう見方をするんだって。違ったアングルを探すことが、デザインの種なのかもしれない」
K「そのマインドでこの一貫性って、すごいバランスだと思いますよ」

窪塚洋介(Yosuke Kubozuka)
1979年5月7日生まれ。神奈川県横須賀市出身。1995年に俳優デビューし、映画を中心に舞台でも活躍。2017年にマーティン・スコセッシ監督作『Silence-沈黙-』でハリウッドデビューを果たし、2019年公開のBBC×Netflix London制作の連続ドラマ「Giri/Haji」でもメインキャストを演じるなど、海外にも積極的に進出。国内外の話題作に多数出演するほか、音楽活動、モデル、執筆と多彩な才能を発揮。自身のYouTube番組やゴルフアパレルブランドなどのプロデュースにも注力している。
Photography: CHIKASHI SUZUKI
Editor: NEO IIDA
Hair: GO TAKAKUSAGI (VANITES)
Editor: NEO IIDA
Hair: GO TAKAKUSAGI (VANITES)